無口な人は誤解される~なぜ相手は怒り出すのか?
私は小学生のころから、自分の感情を表に出したり、自分の意見をハッキリ言うことが本当に苦手でした。
そのため、自然と無口になっていき、無口であるために他人から誤解されることも度々ありました。
突然怒り出した塾の女性教師
小学校高学年の時に通っていた塾での出来事です。
担当の女の先生と一対一で面談をしていた時のことです。
私は自分の意見をハッキリと口に出すのが恥ずかしかったし、自分の意見に自信もなかったため、他人に対していつも気後れしていました。
その時も女の先生に気後れしてしまい、質問にもろくに答えることすらできませんでした。
そういう時の私の態度は、気後れしているのを悟られないように、とてもつまらなそうで、ふてくされているような態度をとっていたと思います。
女の先生は、そんな私の態度がとても反抗的に見えたようで、突然感情的になり、ヒステリックな声で怒鳴り始めました。
「どうして何も答えないの!!」
まだ小学生の私は、大人が突然怒り始めたのを見て怖くなり、どうしていいかわからなくなってしまいました。
「何でもいいから何かを言わなければ」と思い、ボソボソと小さな声で言いました。
「何を…言えばいいのか…わからなかったんです…」
すると先生は、ハッと我に返ったように見えました。
そしてすぐに冷静さを取り戻し、こんな独り言をつぶやきました。
「そういうことかぁ…」
誤解して怒ってしまったことを悪いと思ったのか、それ以降その女の先生は、私に対してやさしい態度で接してくれるようになりました。
サークルの同級生が怒り出す
もう一つ、こんな出来事もありました。
それは、大学のサークルでの出来事です。
当時の私は相変わらずコミュニケーション力がゼロで、他の学生と比べてとりわけ無口でしたが、人並みに楽しい大学生活を送りたいと思い、旅行のサークルに入りました。
私がまだ新入生の時、先輩達を含めた数人と10日間ぐらいの旅行に行くことになりました。
毎晩お酒を飲むのですが、私はお酒の力を借りてもうまく話に入っていくことができませんでした。
その時一緒に旅行していたグループの中に、私と同じくもう一人、新入生がいました。
彼は少し神経質なタイプで、いつも人に対して気を使っているような人でした。
旅行中も、孤立しがちな私に対して、何度か話しかけてくれていたのですが、私の方は相変わらずどう対応してよいかわからず、反応は悪かったと思います。
旅も1週間ほど過ぎたころの酒盛りの時のことです。
みんな良い加減に酔っ払い始めたころでも、私は相変わらず会話に入っていくことができず、一人黙々とお酒を飲んでいました。
その時も、その同級生は私に話を振ったりしてくれていたのですが、他の人たちの目が気になり、自分の意見を言うことができません。
そんなことが繰り返され、酔った勢いもあったのでしょう。彼は突然大きな声で言いました。
「なんか喋れよ!!」
みんながいる前で罵声を浴びせられ、自分に注目が集まっているのをひしひしと感じ、私はなおさら緊張して話すことができません。
飲み会は気まずい雰囲気のままお開きとなりました。
次の日。
私は何もしていないのに、一方的にイライラしたことを悪いと思ったのか、彼の方から私に謝ってきました。
その時に彼は言いました。
「山口が何も喋らないから、俺の話がつまらないのかと思ってついイラッとしてしまったんだ。悪かったな。」
正直に話してくれた彼の言葉を聞き、「なぜ私が無口でいると相手が怒り出すのか」が、少しわかったような気がしました。
相手もあなたのことを怖がっている
人間も含めて、動物が敵対心を露わにする時というのは、「自分の身の危険を感じた時」だと聞いたことがあります。
おそらく自己防衛本能などと関係があるのでしょう。
先ほど例に挙げた女の先生も、同級生も、私が何も喋らないことで、本能的に「私が相手に対して敵意を持っている」と感じたのではないでしょうか。
だからこそ、二人とも私に対して敵意をあらわにしてしまったのではないかと思います。
このことから、もう一つのことがわかります。
それは、あなただけではなく、あなたが怖れている他人自身も、あなたに対する恐怖心を内に秘めているということです。
みんな自分が否定されるのはイヤでしょうし、敵意を持って接せられるのもイヤでしょう。
相手と話をする時というのは、自分の話や意見を否定される危険性を秘めていますので、実は相手も怖かったりするのです。
これが顕著に表れるのが、相手がどんな人なのか分からない「初対面の人との会話」ではないでしょうか。
初対面の人ばかりの集まりに出かけた時、人に話しかけるのを躊躇してしまい、一人ぼっちで孤立してしまったことはないでしょうか。
しかし、平気で他の人に話しかけているように見える人たちも、大なり小なり他人への恐怖心を内に抱えているものなのです。
だから、相手の反応が悪かったり、無口だったりすると「自分に敵意があるのでは?」と本能的に感じ取り、その人を避けるようになるのではないでしょうか。
他人と仲良くなるのが上手い人は、相手に笑顔で話しかけ「私はあなたの敵ではありませんよ」ということをきちんと示して相手の警戒心を解いているものです。
「あなたが相手を怖がっているだけでなく、実は相手もあなたを怖がっている」
これがわかれば、コミュニケーションの取り方も、今までとは少し変わってくるのではないでしょうか。
無口しか選べない人はカッコ悪い
余談ですが、塾の女性教師の人は優しく接してくれるようになったので良かったのですが、同級生とはその後も、ギクシャクとした関係は改善されませんでした。
この記事では、私の印象に残っている2つの例を取り上げました。
他にも無口が災いして相手に誤解を与えてしまい、相手を怒らせたり、馬鹿にされたりした経験はたくさんあります。
無口でいることはミステリアスでかっこいい、という印象を与えることもあるかもしれませんが、それは相手との関係性が薄い場合の話です。
ちょっと接する機会が多くなってくると、ただ単に話下手なだけの無口かどうかはすぐに露呈してしまうものです。
本人が良いのであれば、無口でももちろん良いのですが、きちんと言わなければいけない時に何も言えないのは、あなた自身が損をしてしまいます。
仕事などで円滑にコミュニケーションをとれる人が、プライベートでは無口だったりすると、そのギャップが逆にカッコ良かったりします。
きちんと話すべき時に話せる人が無口を選ぶのはカッコいいですが、無口しか選べない人が仕方なく無口でいるのはカッコ悪いと私は思います。
どちらにしろ、あなた自身が無口で損をしたり、謂れのない誤解を受けないためにも、コミュニケーション力や話し方は鍛えておくに越したことはありません。
他人に対して気後れしてしまい無口になってしまう人は、こちらの教材で潜在意識から他人への恐怖心を取り除いてください。
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